選挙行かない人のブログ

十年くらい選挙行ってない人間が、選挙の事を調べたり、文句言ったりするブログ。世間知らずが書いてるので、このブログに書いてあることは真に受けないでね。

毎週選挙するのはどうだろうか。

衆院選は(原則的には)4年に一回、参院は3年ごとに半数改選。

 

wikipediaを見たら、衆院の定数は465、参院は245って書いてあった。

 

一気に三桁人数の選挙ってどうなのよ?ってふと思った。

 

毎週選挙やって、2~3人ずつ改選していくのってどうかな。

 

衆議院を前提に計算してみる。

465人÷4年≒116人/年

単純に4週*12か月=48週/年とする。

116÷48≒2.4

よって、毎週2人または3人ずつ任期満了し、選挙を行う。

 

 

さて、明らかな問題点は、

政権交代が起きにくい。起こるとしても時間がすごくかかる。

・弱小政党の候補者は絶望的。

 

まあ、多くの人はこの毎週選挙方式に賛成しないだろう。

でも、個人的には、どうせ今の選挙の仕組みでも現実的には政権交代は殆ど期待できないわけで、どんな選挙方式だろうと政権交代に現実性を感じないんだよね。だから、政権交代が起きにくい仕組みでも構わないんじゃないのって思う。一方で、弱小政党の候補者が絶望的になるのは重大な問題だと思う。けど、今はそれは無視することにする。

 

 

 

毎週選挙方式の更なる欠点は、仮に政権交代が起こっても、翌週には逆転され、さらに翌週には再逆転・・・のような状態が発生しうること。そもそも毎週選挙方式は議院内閣制に向いていないね。なので大統領制を想定しよう。もちろん大統領に議会の解散権は与えない。

 

 

 

毎週選挙方式は、全国区制です。全国民による投票で、上位2、3名が当選できます。(または、適当な方法で日本を二ブロック、あるいは三ブロックに分けて、ブロックごとに一人だけ当選させる方式でもいいかもしれません。)

 

 

毎週選挙方式のメリットを挙げてみる。

 

一番分かりやすいのは一票の格差が問題にならないことだろう。全国区制だから当然なんだけど。

 

話がそれるが、ちょっと全国区制について考えてみたい。全国区制と一口で言っても、数十~百人以上選ばれる全国区制と、1人~3人程度しか選ばれない全国区制では様子が違う。もし仮に現状の小選挙区制をやめて全国区のみで総選挙をやることを想定してみると、有権者は物凄く多くの候補者の中から選ばなければいけなくなり、とても選びにくい。組織力のある政党は票の割り振りを巧妙にやるだろうし、そういう政党が議席を上手に獲得するのはよろしくない。小選挙区制は、地域の利権によって当選する議員がどうしても出てしまうし、地域で確実な強さがあれば国家全体の不利益となるような人物でも当選出来てしまう。全国区制は、国家全体の幸福を客観的に考える事の出来る議員を選出できるメリットがあるが、現実的には実現は難しいだろう。

 

話を毎週選挙方式のメリットに戻す。

 

小選挙区制では、有権者は自分の選挙区以外の選挙戦の様子をなかなか知りえないし、全国すべての選挙区を把握することは無理。その結果、自分の選挙区以外の議員なんて興味ないのも無理はない。つまり、一般的な国民は、有名な議員と自分の選挙区の議員以外の議員については顔すらよく知らない。これは国民が政治を身近に感じられない一因ではないだろうか。毎週選挙方式にすれば、毎週ニ、三人ずつ覚えればいいだけだから、国会議員個人個人について十分に触れる機会を得ることが出来る。

 

 

 

 

現在の選挙の仕組みで政権交代が起きない理由を考えてみるに、そもそも野党の人材の数が足りないのではないだろうか。当選できる力のある人物を三桁用意するのは大変だろう。毎週選挙方式では、一気に人材を三桁集めなくてよいので楽になる。もちろんトータルで見れば政権交代するのに過半数の人材が必要だが、数年に一回の選挙時に一気に人材を多数揃えるのはそれ自体に大きな無理があるんじゃないだろうか。頭数を揃える為にレベルの低い候補者が多く混じってるよりも、日々の状況に合わせてコツコツ人材をハンティングする方が質の高い人材が得られるのではないだろうか。

 

 

 

毎週選挙方式では、落選しても次週の選挙に出馬できるようにする。(もちろん、ある一定の得票数を得られなかった者は四年間くらい立候補の資格を失うようにする)

一定の得票数を得ている限り何度でも選挙に挑戦できるから、知名度の低い候補者でもだんだん知名度が上がってくる可能性が有る。なので、候補者に確かな力があれば、知名度で劣ってもチャンスはある。

 

全国区で2、3人しか当選できないから少数意見を代表する候補者の当選は困難であるのはデメリットであるが、しかし小選挙区制でも同様である。

 

 

 

 

数年に一回の選挙に出馬するのは、その人の人生にとって負担が大きい。数年単位で人生の予定を立てなければいけない。毎週選挙方式なら選挙に出馬するタイミングを自分で選べるので負担が少ない。

 

 

 

 

 

毎週選挙があるから、その時の旬の話題が選挙に影響する。選挙戦は流動的。日々の世論がダイレクトに選挙に影響を与えることが出来るので、有権者は政治参加と選挙に希望を持てるのではないだろうか。

 

 

 

 

投票を指示する事は違法にすべき

職場の上司が部下に「今度の選挙○○さんに投票してね」と言ったりするようなことをは違法にするべきだと思う。

 

人から頼まれたからとしても、秘密選挙であるから、その通り投票する必要は無いのであるが、「はいわかりました」と答えたのに違う投票行動をすることに後ろめたさを感じる人だって少なくないと思われる。

 

選挙の翌日「本当に投票したか」と詰問されて、目が泳いでしまって投票していないことがバレる可能性もある。万が一そんなことになるよりかは、素直に言われた通り投票した方が楽だと思ってしまう人もいるかもしれない。

 

 

 話は変わるが、以前こんな記事を読んだ。

 

www.news-postseven.com

落選運動には『ボート・スワッピング』という手法があり、海外では実際に使われた例もあります。例えば石原伸晃氏の東京8区の有権者は、当然、山口4区の安倍首相の選挙区では投票できない。

 そこで、下関の有権者で石原氏に入れてほしい人、あるいは落としたい人を探して、自分がその人の求める投票をする代わりに、相手には安倍首相以外の候補に投票してもらう。この組み合わせをネットでどんどん募集してペアリングしていくわけです」

 

 

こういう『ボート・スワッピング』なる手法は不健全だし禁止されるべきだろう。こういうことを許さない為にも、誰に投票するかを指示することや、投票の約束を取り付ける事は違法化するべきだ。明示的な指示のないお願いレベルであっても違法化するべきだ。

 

また、組織による票の割り振りを許さないためにも、「どこどこ地区のみなさんは誰誰の名前を書いてください」といった類の発言は違法化すべきだ。

 

「私は誰誰に投票します」と言うのは許されても、他人の投票行動について具体的な事を言うのは禁止にすべき。「誰に投票するか」を聞いたり、「誰に投票したか」を確認するのも駄目。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019参院比例

www.nhk.or.jp

 

以下の表は、主に ↑ のNHKのサイトのデータを使用して私が自作したものである。正確性は保証しない。敬称略。

 

 

赤字は当選。

自民 17,712,373  ←自民党の比例得票数・・・①

濃紫 12,693,046   ・・・②            71.66・・・②÷①×100・・・⑤

明紫   5,019,327  ←各候補者の得票数の合計・・・③ 28.34・・・③÷①×100・・・⑥

特 三木 亨 ←特定枠

 3 柘植 芳文 600,189 ←候補者の得票数・・・④      3.39・・・④÷①×100・・・⑦

 

②の数が表すのは、候補者の名は書かず政党名だけ書いた票数。(①=②+③)

⑤は、自民党の得票数のうち、政党名だけ書かれた票の割合(%)。

⑥は、自民党の得票数のうち、候補者の名が書かれた票の割合(%)。(⑤+⑥=100)

⑦は、自民党の得票数のうち、柘植芳文氏の得票数が占める割合(%)。

 

 

赤    最多得票

オレンジ 40万票以上

黄色   30万票~

緑    20万票~

水色   10万票~

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最多票は山本太郎。ダントツ。

次点は自民・柘植芳文。元全国郵便局長会会長。

3位、公明・山本香苗。

4位、自民・山田太郎

 

 

 自民党の強さが一目瞭然。知名度全然無さそうな人でも、立憲の須藤元気市井紗耶香より得票数多い。しかも、10万台取ってても落選してる人もいる。自民党から当選するのも楽じゃなさそう。国民民主も10万台の二人が落選。

 逆に、立憲、維新、共産は数万でも当選できる。政党名だけ書く支持者が比較的多いのだろう。

 公明は7人当選。6番目の人が18万票、7番目の人が1万5千票という数字に。

 

 

 

 

 政党名だけ書かれた票の割合

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比例代表が好きになれない

 比例代表のことを否定する人はあんまりいないように思う。でも私は比例代表に否定的だ。

 

 比例代表制は政党というものを当然に前提としているが、私はそもそも政党というものが好きじゃない。党議拘束のようなことが許されてはいけないと思う。議員は一人の独立した個人格として個人の責任で政治を行うべきだ。    

 仮に「政党というものは民主主義を歪めるものだ」として政党を強く否定する考えの人がいたとしたら、その人にとっては投票先が無い。

 

 

 

 

 

 私は、政党名だけで投票することに疑問を持たない有権者が嫌いだ。選挙は人間を選ぶものであって、政党という、人でないものを選ぶのはおかしいと思う。

 

 

第一、比例代表の仕組みがよく分からない。理解してないなりに不満を書いてみる。よく分かってないからトンチンカンなこと言うかもしれないが、私のように制度を把握できてない有権者がいること自体が欠陥なのだ。私がトンチンカンでも私は悪くない。

 

 

 非拘束名簿の場合、政党名だけ書くことも候補者名を書くこともできるが、政党名だけ書くという行為は不可解だ。政党は選べてもその政党に所属する候補者の選択には興味が無いというのはおかしな話だ。議員個人を選ぶ気の無い人に有権者としての資質があるのか疑問だ。

 

 拘束名簿の場合、実質的に、自分の一票の分配権をその政党の有力者に与えることになる。一人一票の原則に反している気がする。非拘束名簿の場合であっても、政党名を書くだけの場合は、理屈的には、自分の一票の分配権を、候補者名を書いた投票者に与えていることになる。

 

 候補者名を書いたとしても、その一票はその候補者以外の候補者に分け与えることになる。自分が名前を書いた候補が当選したとしよう。もし大選挙区制なら、その人に入れた一票はその人の当選に資したのみであるが、比例の場合は他の人を当選させる力も持つ。これって、一人一票の原則からはずれてないだろうか。

 

 

 

 

2019参院選では、

公明(6,536,336票 13.1%)の塩田博昭氏は15,178の得票数で当選している。

安楽会(269,052票 0.5%)の佐野秀光氏は35,611の得票数で落選している。

 

公明の人には失礼だけど、塩田氏の15,178票は生きた票で、当選者ゼロの安楽会の佐野氏の35,611は死票というのは、民意を反映していると言えるのだろうか。まあ、超少数政党の人が簡単に国会議員になってはマズいけれど、逆に政党に組織力があれば票数の少ない候補でも当選する可能性が有るというのは、それはそれでマズいのではないか。当選するのに最低限必要な票数というものを設定するべきではないか。

 

 

 

衆院選でも参院選でも「比例」があるけど、「拘束名簿」とか、「比例ブロック」とか、重複立候補」とか、「非拘束名簿」とか、「特定枠」とか、頭がイライラする。こういう複雑さは、選挙から興味が薄れる一つの原因になってると思う。ゾンビと揶揄される「比例復活」も印象が良くない。負けたはずの人が当選するのは直感的に納得できない。

 

 

比例で当選した人が離党しても議員を続けられるのも納得できない。

 

辞職したら次点の人が繰り上がるのも何だかなと思う。ちなみにN国立花氏の次点は、9308票の浜田聡氏。

 

 

 

 

 

 

 

東京と地方

"一票の格差"を無くそうとすれば、田舎の議員を少なく、都市の議員を多く、となってしまう。

 

大阪や愛知や福岡はともかく、東京の議員を律義に人口比通り配分する必要があるだろうか。

 

国会議事堂は東京にある。地方出身の議員でも東京で生活するわけだ。そういう意味では国会議員は東京人である。

 

しかも、議員だけじゃなくて、中央省庁の役人だって、たぶん多くの人が東京人だろう。こうやって考えると、単純な数字上の"一票の格差"以外の部分で、地方とは大きな差がある。

 

もし、国会議事堂が福島にあったら、国会議員の原発観も違ってくるはずだ。でも、国会議事堂は東京にある。

参院選の疑問 例えば東京選挙区

ja.wikipedia.org

丸川珠代 48 自由民主党 1,143,458票
 
19.88%
 
山口那津男 67 公明党 815,445票
 
14.18%
 
吉良佳子 36 日本共産党 706,532票
 
12.28%
 
塩村文夏 41 立憲民主党 688,234票
 
11.97%
 
音喜多駿 35 日本維新の会 526,575票
 
9.16%
あたらしい党推薦
武見敬三 67 自由民主党 525,302票
 
9.13%
 

 

 多くの県では一人しか当選できないのに、東京だと6人も当選出来る。これって不平等じゃないの?

 

 一人区は、選挙やる前から当選する人が決まっていることが多い。もちろん、有力候補二人による一騎討ちのことも少なくは無い。そういう場合は選挙が面白い。でも、東京の場合はもっと選挙が面白い。上位はともかく、下位に誰が滑り込むかの予想は容易ではない。

 

 一人区の場合、例えば、A党支持者が5割、B党支持者が4割のとき、B党候補者はつらい。決して少なくない支持者がいるのに当選出来ない。しかし、二人区なら両者当選できる。

 

 東京の場合、得票数が10パーセント以下でも当選が出来てしまう。こういうことは一人区では基本的に起こりえない。一人区では、少数政党の候補者はよっぽどの実力者でない限り当選不可能だ。

 

 つまり、東京のような選挙区では、少数意見を持つ者に希望があるが、人口の少ない県に住む少数意見を持つ者には実質的に希望は無い。

 

 これって"一票の格差"よりずっと明らかな不平等ではないのか。 

合区

2019年 第25回 参議院選挙 有権者数ランキング

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上の表は自作。
有権者数のデータは下のサイトのデータを用いた。

 

www.soumu.go.jp

 

 

 

 

合区の必要はあるのだろうか。

 

 都合よく、有権者数のワースト1位2位、3位4位が隣の県だったから合併させられてしまっているけど、次はどうすんの。 まさか、福井と佐賀を合区にする訳にはいかないだろう。

 一票の格差を是正するために都道府県不平等を作り出してしまって、何がしたいのか。

 島根は竹島を含む県であり、原発もある。人口が少ないからって軽視していい県じゃないでしょ。