選挙行かない人のブログ

十年くらい選挙行ってない人間が、選挙の事を調べたり、文句言ったりするブログ。世間知らずが書いてるので、このブログに書いてあることは真に受けないでね。

比例代表が好きになれない

 比例代表のことを否定する人はあんまりいないように思う。でも私は比例代表に否定的だ。

 

 比例代表制は政党というものを当然に前提としているが、私はそもそも政党というものが好きじゃない。党議拘束のようなことが許されてはいけないと思う。議員は一人の独立した個人格として個人の責任で政治を行うべきだ。    

 仮に「政党というものは民主主義を歪めるものだ」として政党を強く否定する考えの人がいたとしたら、その人にとっては投票先が無い。

 

 

 

 

 

 私は、政党名だけで投票することに疑問を持たない有権者が嫌いだ。選挙は人間を選ぶものであって、政党という、人でないものを選ぶのはおかしいと思う。

 

 

第一、比例代表の仕組みがよく分からない。理解してないなりに不満を書いてみる。よく分かってないからトンチンカンなこと言うかもしれないが、私のように制度を把握できてない有権者がいること自体が欠陥なのだ。私がトンチンカンでも私は悪くない。

 

 

 非拘束名簿の場合、政党名だけ書くことも候補者名を書くこともできるが、政党名だけ書くという行為は不可解だ。政党は選べてもその政党に所属する候補者の選択には興味が無いというのはおかしな話だ。議員個人を選ぶ気の無い人に有権者としての資質があるのか疑問だ。

 

 拘束名簿の場合、実質的に、自分の一票の分配権をその政党の有力者に与えることになる。一人一票の原則に反している気がする。非拘束名簿の場合であっても、政党名を書くだけの場合は、理屈的には、自分の一票の分配権を、候補者名を書いた投票者に与えていることになる。

 

 候補者名を書いたとしても、その一票はその候補者以外の候補者に分け与えることになる。自分が名前を書いた候補が当選したとしよう。もし大選挙区制なら、その人に入れた一票はその人の当選に資したのみであるが、比例の場合は他の人を当選させる力も持つ。これって、一人一票の原則からはずれてないだろうか。

 

 

 

 

2019参院選では、

公明(6,536,336票 13.1%)の塩田博昭氏は15,178の得票数で当選している。

安楽会(269,052票 0.5%)の佐野秀光氏は35,611の得票数で落選している。

 

公明の人には失礼だけど、塩田氏の15,178票は生きた票で、当選者ゼロの安楽会の佐野氏の35,611は死票というのは、民意を反映していると言えるのだろうか。まあ、超少数政党の人が簡単に国会議員になってはマズいけれど、逆に政党に組織力があれば票数の少ない候補でも当選する可能性が有るというのは、それはそれでマズいのではないか。当選するのに最低限必要な票数というものを設定するべきではないか。

 

 

 

衆院選でも参院選でも「比例」があるけど、「拘束名簿」とか、「比例ブロック」とか、重複立候補」とか、「非拘束名簿」とか、「特定枠」とか、頭がイライラする。こういう複雑さは、選挙から興味が薄れる一つの原因になってると思う。ゾンビと揶揄される「比例復活」も印象が良くない。負けたはずの人が当選するのは直感的に納得できない。

 

 

比例で当選した人が離党しても議員を続けられるのも納得できない。

 

辞職したら次点の人が繰り上がるのも何だかなと思う。ちなみにN国立花氏の次点は、9308票の浜田聡氏。